令和2年9月1日 大綱質疑
〇教育行政について
(1)責任の所在について
教育行政における最大の問題は、『責任の所在が曖昧であること』です。法律上、一義的な責任者は教育長ですが、その他にも、教育施策の方向性を決める教育委員、事務を担う教育委員会事務局、現場責任者である学校長、予算執行権を持つ首長と教育施策を実行するにあたって、様々な関係者が存在します。その結果、教育施策の実行にあたって責任の所在はどこにあるのかが曖昧になりがちで、そのしわ寄せは子どもたちに及びます。
その一例が、昨年度、通知の範囲を超えて危険性を有するピラミッドを実施した組体操であり、コロナ禍に実施される修学旅行に見ることができます。
教育行政における責任の所在が曖昧となった最大の原因は「教育の政治的中立性」を前面に押し出した結果、首長の介入を一切排除したことにあります。
児童生徒の生命・身体に危険の及ぶ可能性のある場合、一義的には、教育長のマネジメントが求められますが、そのマネジメントが及ばない時は、首長が予算執行権を背景に実質的な指示を行う必要性も生じます。どうすれば、子どもたちの安全を守れるのかという観点から、柔軟な姿勢が求められています。
(2)基礎学力向上に向けて
基礎学力向上の第一歩は現状認識と具体的な数値目標にあります。
そのためには、児童生徒、保護者、教職員、市民と現状認識を共有するべく、全国学力・学習状況調査(学力テスト)の学校別結果の公表が欠かせません。ところが、これまで教育委員会では、「学校間の差別化・序列化に繋がる、子どもたちの自尊感情に影響を及ぼす、学力テスト対策の授業が行われる」との理由で、学校別結果公表については実施せず、今後も実施しない、という姿勢を貫いています。
しかしながら、大阪府内で学校別結果を公表している大阪市、泉佐野市、寝屋川市において、学校間の差別化・序列化が生まれているという報告は聞いたことがありません。
また、自尊感情を高めるためには、「出来た」「分かった」という小さな成功体験の積み重ねが大切であり、現状把握が即、自尊感情に悪影響を及ぼすとは言えません。
そもそも、定期考査(中間・期末テスト等)を実施する意義は、子どもたちの学習の定着を図るために行われるものであり、点数を取ることが目的ではありません。そうであるならば、現場から指摘される「学力テスト対策の授業が行われる」という懸念はナンセンスです。
公表しない理由に児童生徒側の都合を挙げていますが、本音は、教職員・教育委員会が自らの責任逃れのために公表しないのではないでしょうか?
堺市全体の平均点推移の公表だけでは、堺市が実施する基礎学力向上に向けた取組がどの程度効果を上げているのか、議会としてのチェック機能を果たすことができません。学力格差は経済格差に起因することが指摘されています。であるならば、学校別結果の公表をすることで、学力下位層への首長部局の資源(お金)を集中投下が実現可能となり、その結果、学力の底上げにもつながります。
きめ細かな教育サービスを実現する為にも、学校別結果を公表するよう強く求めました。
(3)特色ある学校づくりに向けて
近年、コミュニティスクールの必要性が指摘されております。地域の声を反映したコミュニティスクールを実現する為には、予算(お金)が必要となります。ところが、現状、学校長に配分される予算は経常経費に分類される予算に限られます。
やる気のある学校長の創意工夫を促すためにも、学校長への予算権、人事権の移譲が欠かせません。しかし、ここで、大きな課題が『責任の明確化』です。仮に、学校長に予算権を移譲するとなると、そこには責任が伴います。一定の結果責任を学校長に求めるにあたっては、人事評価制度がどうあるべきか、という問題を避けては通れません。
コミュニティスクールという言葉が実の伴った施策となるよう、予算・人事権の移譲に伴う責任の所在の明確化、人事評価制度の検討を求めました。
(4)学校規模の適正化について
少子化に伴って、近年、学校規模の適正化が課題となっています。学校規模の適正化にあたって考えられるのは、小規模校の統廃合や学区の見直しが考えられます。しかし、統廃合や学区の見直しは、地元調整に多くの労力を費やすものです。
子どもたちの学習環境の改善を第一に考え、大阪市のように条例制定で一定の方向性を示す、あるいは、部局横断の特別チームを設置するなどの取組みが欠かせず、そのためには市長のリーダーシップ、そして我々議会側の協力が欠かせません。
学校規模の適正化に向けて、市長の任期中に一定の方向性を示すよう求めました。